追悼の意:猪口 孝(1944~2024)
沢山の本に囲まれる猪口孝氏, 2020年代、© Kuniko Inoguchi, All Rights Reserved.
2025年3月27日
国際関係学および政治学の学術コミュニティーは、国際政治学の分野で国際的な権威であった猪口孝教授のご逝去を深く悼みます。猪口教授を偲び、先生のご経歴と先生と親交のあった学者たちからの寄稿をご紹介します。
猪口孝教授は1944年に新潟市で生まれました。東京大学で学士号と修士号を取得後、マサチューセッツ工科大学(MIT)で政治学を学び、1974年に博士号を取得しました。1977年から2005年まで、猪口教授は東京大学東洋文化研究所で教鞭を執りました。その後、中央大学、新潟県立大学、桜美林大学で教鞭をとりました。1995年から1997年まで国際連合大学上級副学長、2009年から2017年まで新潟県立大学学長を務めました。
猪口教授は、数えきれないほどの論文や150冊を超える書籍(日本語110冊、英語40冊以上)の編集や執筆を手がけられました。英文書籍のうち、20冊はシュプリンガーネイチャー(SpringerまたはPalgrave Macmillan)から出版されています。氏は、Japanese Journal of Political Science(ケンブリッジ大学出版局、2000年~2018年)、International Relations of the Asia- Pacific (オックスフォード大学出版局、2000年~2005年、G. John Ikenberry氏との共同創刊)、Asian Journal of Comparative Politics(SAGE、2016年~2024年)の創刊編集者を務めました。さらに、2021年には、猪口教授がEvidence-Based Approaches to Peace and Conflict Studies英文書籍シリーズ(Springer)を創刊し、2024年まで編集長を務めました。
2021年、猪口教授は世界世論調査協会よりヘレン・ダイナーマン賞を受賞しました。また、2024年、猪口教授は日本の瑞宝中綬章を受章しました。
2024年11月27日に、猪口教授は自宅での不慮の火災によりお亡くなりになりました。享年80歳でした。
猪口教授は、学問に対する情熱と好奇心に溢れ、常に大規模な実証研究に取り組んでいました。彼と世界や日本について意見を交わすのはいつも刺激的でした。同時に、氏は、人として、誠実で、誰に対しても心優しい人物でした。彼の穏やかな笑顔は、いつまでも私達の記憶に残ることでしょう。
世界中の多くの学者たちが、学術的な思考と探究に対する猪口教授の情熱に鼓舞され、彼の温かさに感動しました。以下に、猪口教授と親交のあった学者たちから寄せられたお別れの言葉をいくつかまとめました。各コメントは、研究者の姓のアルファベット順に並べたものです。
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猪口先生の訃報に接し、悲しみに堪えません。私は直接猪口先生にお会いしたことはありませんが、この10年ほど、猪口先生が編集されていた書籍のいくつかの章を担当する機会があり、彼と連絡を取っていました。その限られたやり取りからも、猪口先生が、稀に見る広い視野を持ち、アジア、特に中国関連の問題を真摯に、かつ献身的に理解しようとしている人物であることが感じられました。猪口先生のような人物がいなくなると、学問は貧しくなるでしょう。
--- Kerry Brown, Professor of Chinese Studies and Director, Lau China Institute, King’s College London, UK (伦敦国王学院 中国研究所 主任 凯瑞.布朗教授)
私は、この40年間、孝先生と知り合えて本当に幸運でした。私たちは5つのプロジェクトを一緒に手がけ、英語と日本語の両方で書籍を出版しました(後者は私のベストセラーです)。また、国内外の学会で顔を合わせ、彼を通じて学術ネットワークを広げ、シュプリンガー社をはじめとする編集チームで協力しました。ここ数年は会っていませんが(直近に会ったのは4年前です)、メールでの連絡は続けていました。最近、彼から個人的なメモをいくつか受け取り、ファイルに大切に保管しています。彼がいなくなり、寂しく思います。
--- Ofer Feldman, Professor Emeritus, Doshisha University, Japan
私は、今から53年前の1972年にマサチューセッツ工科大学(MIT)政治学部の留学生仲間として猪口孝教授と出会いました。博士号取得後、私たちはそれぞれ母国に戻りました。彼は日本へ、私はパキスタンへ。しかし、それ以来半世紀にわたって、私たちは同僚として、また友人として緊密に連絡を取り合ってきました。彼の突然の事故死は、肉親を亡くしたような衝撃でした。
半世紀前に初めて出会ったときから、私にとって孝氏が唯一無二の存在であり、彼と同じような人物は他にいないと感じていました。彼は日本、その文化、政治に深く根ざしながら、交友関係や学術的な見解においては非常にグローバルな人物でした。彼は驚くほど生産的でプロフェッショナルであり、同時に非常にリラックスした、愛情深い、笑顔の絶えない、寛大な、温かい友人であり、家族的な人物でした。私は、日本に頻繁に足を運んだ際、孝氏と邦子博士が私に提供してくださった温かいおもてなしに、いつまでも感謝の気持ちを抱き続けるでしょう。そのうちのいくつかは、孝氏のご招待によるものでした。
彼の人柄と同様に、孝氏の学問への関心と貢献もまた比類のないものでした。彼は博識であり、同時に細部に徹底的にこだわっていました。孝氏の英文書籍シリーズにご寄稿された方々が研究している分野における数々の貢献に加え、孝氏は大規模な統計調査を通じてアジアの世論研究に卓越した貢献を果たしました。この分野における彼の功績は、今日に至るまで比類のないものです。彼は他に類を見ないアジア・バロメーター世論調査の設立を主導し、数十年にわたって熱心に運営してきました。数年前、孝氏は、この分野における生涯の功績を称えられ、世界世論調査協会(WAPOR)アジアから表彰されました。私もその栄誉を共にすることができたことを大変光栄に思います。さようなら、孝。あなたの魂が安らかに眠りますように。
--- Dr. Ijaz Shafi Gilani, Chairman Gallup Pakistan (Pakistan Institute of Public Opinion) and former Professor and Dean at the International Islamic University Islamabad (IIUI), Pakistan
孝氏は、私の最も古く、親しい友人の一人であり、同僚であり、協力者であり、光のような導き手でした。日本、東アジア、そして世界政治の研究に対する氏の優れた学術的貢献は、長く記憶されることでしょう。孝氏は、その精神と人柄、好奇心、ユーモア、熱意、そして陽気さでも記憶されるでしょう。私は孝氏を師としていつまでも忘れることはないでしょう。 プリンストン大学の若手研究者であった私は、日本について学んでいるところでしたが、孝氏は、日本についての私のガイドであり、家庭教師でもありました。彼は私に日本の学術的な考え方や政策論争について教えてくれました。彼がInternational Relations of East Asia誌を創刊した際には、創刊時の共同編集者に私を指名してくれました。私たちが一緒に取り組んだプロジェクトや編集書籍は、知的努力であると同時に、友情の絆を深める機会でもありました。彼の訃報は悲しく、衝撃的です。最後に孝氏と話したのは、2024年10月に東京ででした。春に再会する予定でした。私たちは、これからもずっと友情を育み、語り合い、昔を懐かしむ機会を数多く持ち、長く複雑に絡み合った学問上のキャリアについて語り合うことを楽しみにしていたと思います。しかし、それらの将来の幸せな機会は、悲劇的に奪われてしまいました。しかし、私は、孝氏の素晴らしい業績と人生、そしてその一部に関われた幸運に、ずっと感謝し続けるでしょう。
--- G. John Ikenberry, Albert G. Milbank Professor of Politics and International Affairs, Princeton University, USA
親愛なる友人であり同僚であった猪口孝先生
2024年11月28日のニュース速報で、東京のアパートで火災が発生し、2名がお亡くなりになられたというニュースを目にしたとき、私はショックを受けました。犠牲者の中に、孝先生と、その双子の娘様のお一人が含まれているとは信じられませんでした。これは悲劇的で信じがたいことです。長年の同僚であり、共著者であり、何よりも友人であり、知的指導者であった彼の人生が、このように突然に幕を閉じたことは想像を絶します。
1990年に彼と初めて会ったとき、私は東京大学東洋文化研究所に所属しており、彼はそこで教授をしていました。学術的な執筆・出版が、私たちを引き寄せ、結びつけたのです。
私たちの専門的な関係は、私たちが初めて共編した書籍『日本の政治の現在:カラオケ民主主義を超えて?』(1996年)の作業を通じて深まり、その後、日本の政治と外交政策に関する書籍をさらに3冊共編しました。私は、孝氏が編集する多くの学術誌の諮問委員会や編集委員会の委員を務め、また、孝氏が編集した多数の書籍に寄稿しました。彼と一緒に仕事ができたことは、本当に素晴らしい経験でした。彼は常に建設的なアドバイスと励ましの言葉をくれました。
特に政治学、国際関係論、アジア政治・外交の分野における学術界への彼の多大な貢献は広く尊敬を集めています。Googleで検索すると、幅広いトピックに関する書籍、論文など、彼の出版物の数が数百件もヒットします。間違いなく、彼はその分野における傑出した存在でした。彼の著作は、今後何十年にもわたって広く引用され続けるでしょう。
彼の出版物の量と質を超えて、彼の人的ネットワークの規模もまた巨大でした。孝氏は、日本および世界中の若手研究者を指導し、世界中にネットワークを構築し、世界中の学者と協力するという取り組みを行っておりましたが、これは日本および世界でも稀なことです。
孝氏と私は、お互いの研究関心について文通で連絡を取り合っていました。また、私が日本を訪れる際には必ず彼に会っていました。最後に彼に会ったのは2023年11月、後楽園の中央大学オフィスで、いつものように一緒に昼食を食べました。悲しいことに、これが私たちの最後の対面となりました。2025年1月に私が日本を訪れた際に彼に会いたいという私の願いは、今や叶うことはありません。
孝氏のことを思い出すと、彼の軽妙な会話やウィットに富んだ発言がひっきりなしに浮かんできます。 若い研究者は一流の研究者の論文を引用し、中堅になると友人や共同研究者の論文を引用することが多くなり、キャリアの頂点に達すると自分の論文を引用することも多くなる、と彼は指摘していました。
孝氏は語学学習にとても興味を持っていました。彼は新潟県の出身で、学生時代に早くから英語をマスターしました。その後、中国語、韓国語、インドネシア語、ヒンディー語、さらにはロシア語も学びました。彼が言うには、どこかの会議に出席する際には、まず現地の言葉で挨拶と数文を述べた後、英語でプレゼンテーションを行うのだそうです。彼は私に、たとえいくつかのフレーズや最低限の外国語の知識でも、それがあればたちまち人々とつながることができると助言してくれました。なんと素晴らしい助言でしょう!
私が最も興味深く、また日本の学者としては珍しいと感じた孝氏の取り組みのひとつは、研究成果を主に英語で執筆し、日本語に翻訳することでした。彼は、日本語で執筆した知識を日本の同僚や学生に広める必要があると考え、日本語に翻訳しました。
孝氏はプライベートな人でした。私は、参議院議員で元大臣の猪口邦子教授と、その双子の娘さんたちとは正式にはお会いしたことはありませんが、孝氏はよく彼女たちのことを話してくれましたし、台所での自分の貢献を誇らしげに語っていました!
私は、お二人のかけがえのない家族のメンバーをなくされた猪口邦子教授と娘様に、心よりお悔やみ申し上げます。この耐え難い喪失を乗り越えるための平安、癒し、そして強さが得られることをお祈り申し上げます。
孝、あなたは日本国内および海外の学術界に、かけがえのない空白と、永続的で非常に価値のある貢献を残しました。あなたの研究、著作、教育、そして親密な友情と指導は、今後何世代にもわたって世界中で知識の創造と学習を育み続けるでしょう。本当に素晴らしい功績です。ありがとう、親愛なる友人よ。
永遠に安らかにお眠りください!
--- Purnendra Jain, Emeritus Professor, The University of Adelaide, Australia
彼がご逝去する数ヶ月前、私は猪口教授と素晴らしい午後のひとときを過ごすという光栄に浴しました。これまでの数々の会合と同様に、私たちは共通の関心事や政治的な懸念事項について、活発に、そして情熱的に議論を交わしました。私は、彼の訃報をいつまでも悲しむでしょう。しかし、私の学問上の師であり友人であった彼が残した素晴らしい遺産は、これからも生き続けるでしょう。 私は、彼の持つ世界への好奇心、輝く知性、科学的知見、そしてレジリエントな民主的精神を称えるために、全力を尽くします。
--- John Keane, Professor of Politics, The University of Sydney, Australia
ジョン・キアヌ氏(左)と猪口孝氏(右), 2024年6月東京にて。(© John Keane. All Rights Reserved.)
写真は、キアヌ氏の2024年12月2日付のX投稿より
猪口孝先生の突然のご逝去に愕然としております。私が初めてお目にかかったのは1991年のこと。以来30年以上にわたって本当にお世話になってきました。この間の思い出は尽きませんし、あの笑顔に接することができないのは残念でなりません。いまはただ安らかにお眠りくださいとしかいいようがありません。Requiem æternam dona eis, Domine, et lux perpetua luceat eis.
--- 君塚 直隆, 関東学院大学 国際文化学部 教授
故猪口孝先生から、先生が編者となられた本の執筆を依頼される前から、私はこの非凡な人物について多くのことを耳にしていました。極東国際関係論や、この分野におけるさまざまなアクターの外交政策を研究する人であれば、誰もが猪口先生の名前を耳にしたことがあり、この偉大な学者の広範な名声を知っていたことでしょう。先生は博識であるだけでなく、個人的に面識のない私たちにも、アドバイザーとして、そして何よりもメンターとして助言をくださいました。先生は、私たちの仕事を辛抱強く理解を示しながら導いてくださり、大きな励ましを与えてくださいました。また、私達が常に正しい綴りを使用し、考えを首尾一貫した明瞭な方法で表現するよう、細部にまで気を配ってアドバイスしてくださったことにも深く感銘を受けました。彼は学術界に素晴らしい遺産を残してくれました。私たちは皆、そのことに感謝しており、また、研究、執筆、編集の方法の手本として、彼の功績を称えています。
--- Professor (Emeritus) Meron Medzini, Department of Asian Studies, The Hebrew University of Jerusalem, Israel
猪口孝先生に初めてお会いした時のことを今でも覚えています。1999年の日本国際政治学会の懇親会でのことでした。大学院生の私が北朝鮮を研究していることを喜んでくださり、歴史研究だけでなく比較研究もするようにと励ましてくださいました。それ以来、私の研究スタイルは変わりました。北朝鮮の歴史を研究する中で、常に他の国々との比較を意識するようになりました。本格的に比較研究を始めたのは、ほんの10年ほど前のことです。「誰もやっていないよ、宮本君だけだよ」これが猪口教授のいつもの褒め言葉でした。この褒め言葉が、私の研究を続ける原動力でした。最後に会ったのは2024年7月11日でした。猪口教授、25年間ありがとうございました。
--- 宮本悟, 聖学院大学教授 東京大学先端科学技術研究センター客員上級研究員
ジュネーブからオーフスへ! 私が初めて若き日の孝と出会ったのは1977年のことでした。ジュネーブにある国際開発研究大学院でのことでした。私たちは2人の若い客員研究員で、1人は東京から、もう1人はテヘランから来ていました。しかし、イランでイスラム革命が勃発したため(1978年~1979年)、私たちの関係は途切れてしまいました。私は妻と幼い2人の子供たちとともに、妻の母国であるデンマークに移住し、オーフス大学の政治学部で教授職に就きました。それから数年後、奇跡が起こりました。ある日、私の部署の廊下を上品な身なりの中年夫婦が歩いているのを見かけました。それは猪口先生ご夫妻でした。信じられない! 彼は私がそこにいることを知らず、私も彼が来ることを知りませんでした。 ここから、彼の推進力、インスピレーション、そして比類のない忍耐力によって、新たな実り多い協力関係が始まりました。彼の指導の下、私はイランの外交政策(第2巻、アジアの外交政策)に関する章を執筆し、日本国際政治学会の学会誌にも寄稿しました。また、私のイスラム主義に関する日本語の本の出版にも貢献してくれました。彼は私を東京で開催された著名な同僚たちとの国際会議に招待してくれました。また、自宅でのプライベートな夕食会にも招待してくれました。あの悲劇的な事件が起こったのと同じアパートでです!猪口先生の悲劇的なご逝去は、ご家族にとって悲しいだけでなく、国際的な学術界全体にとっても悲劇的な損失です。
--- Mehdi Mozaffari, Professor Emeritus. Dr., Department of Political Science, Aarhus University, Denmark
猪口孝先生とは、私が1992年に東京大学大学院修士課程の学生だったときに初めてお会いしました。それ以前に、上智大学の学部生だった私は、御夫人の猪口邦子先生のゼミに参加していました。ですから、猪口先生ご夫妻は、私の青春時代に影響を与え、多くの示唆を与えてくださった恩師です。数年前、コロナ禍以前に、孝先生はEvidence-Based Approaches to Peace and Conflict Studiesシリーズという英文書籍シリーズで単著を書く機会を私に与えてくださいました。しかし、学生向けのオンライン教科書の作成に時間を取られたり、母が3度も重病を患ったことなどから、執筆は非常に遅れてしまいました。私は恥ずかしさと無能さに苛まれていました。それでも、孝先生はお見捨てにならず、私の遅筆を辛抱強く待ってくださいました。先生はメールや電話で何度も温かいメッセージを送ってくださり、私は先生の優しさに感動し、励まされました。残念ながら、最終原稿を先生にお渡しすることはできませんでした。しかし、先生からいただいたご親切なご指導に答え、それを心に留めておくために、私は執筆を続けています。邦子先生とお嬢様に、この悲劇へのお悔やみを心から申し上げます。邦子先生、あれから、私は動揺して言葉が見つからず、長い間お悔やみを申し上げることができず、大変失礼いたしました。少しでも先生のお心が安らかになられますよう、私でできることはさせていただく所存です。
---鍋島孝子, 北海道大学 大学院メディア・コミュニケーション研究院 農学研究院 食水土資源グローバルセンター 国際食資源学院 社会領域 (国際政治学・アフリカ地域研究)教授
私と猪口孝氏、邦子氏との友情は、1960年代後半から1970年代前半にかけて孝氏がMITで博士課程に在籍していた時代にまで遡ります。孝氏はMITに在籍し、私はハーバード大学のマサチューセッツ・アベニューを数マイル下った場所で博士課程の学生をしていました。彼と知り合ったのは、私の婚約者だったシャロン・ゴールドバーグ(後のシャロン・ネイサン)が、MITの政治学博士課程で高史郎の同級生だったからです。彼は、当時、そして現在もなお、理論的・方法論的専門知識の面で非常に厳しいことで知られるMITの政治学部の博士課程で、アメリカで博士号を取得した数少ない日本人政治学者の一人として、勇気があり、進取の気性に富み、エネルギッシュでした。孝のキャリアは、数多くのプロジェクトを主導し、多くの学者と共著を執筆し、膨大な数の出版物を発表し、多くの学生を指導するなど、知的な事業とエネルギーという特徴を示し続けていました。最後に彼に会ったのは、2、3年前に東京での会議で私が講演したときのことでした。彼はとても親切にも、私を探し出してくれて、お互いの近況を報告し合いました。その時、彼はまだ学術研究に関する野心的な計画をたくさん抱えていました。誰も永遠に生きることはできませんが、彼にはまだ成し遂げるべき多くの素晴らしい仕事があったにもかかわらず、このような悲劇的な形で早すぎる最後を迎えたことは、本当に残念でなりません。邦子さんが夫と娘を同時に亡くされたことは、想像するだけでも耐え難いことであり、心からお悔やみ申し上げます。
--- Andrew J. Nathan, Class of 1919 Professor of Political Science, Columbia University, USA
猪口教授の訃報、そして教授のご令嬢の訃報は、本当に衝撃的で悲しく、信じがたいものです。私が教授と初めてお会いしたのは1996年で、その年から11年間にわたって日本に住み、仕事をしてきました。その間、そしてそれ以降も、教授は常に私の支援者、協力者、友人であり続けてくださいました。私は彼と数々のプロジェクトで一緒に仕事をしてきましたが、その始まりは、彼が国連大学副学長として主導した『民主主義の変容』プロジェクトでした。国連大学での任期を終えた後も、私たちはさらに刺激的な取り組みを共に手がけました。その中には、オックスフォード大学出版局から発行されている日本国際政治学会の学会誌International Relations of the Asia Pacificの創刊があり、彼は初代編集長を務め、私は現在も編集委員の一人として携わっています。2007年に英国に戻ってからも、毎年(コロナ禍の1年を除いて)日本を訪れることができ、可能な限り孝と旧交を温めることを楽しんできました。彼はしばらくの間、千駄ヶ谷のオフィスで大量の本に囲まれて働いていましたが、そこで私は彼とEvidence-Based Approaches to Peace and Conflict Studiesシリーズについて議論したことを覚えています。多くの人がすでにペースを落としている年齢であっても、彼と話すたびに、私は彼のエネルギーのレベルと、常に将来を見据えた計画に驚かされました。彼は日本および国際的に著名な学者であり、そのことは彼が受賞した数えきれないほどの賞や称賛が物語っています。何よりも、私は彼のユーモア、コラボレーションへの熱意、そして個人的なサポートを忘れないでしょう。
--- Edward Newman, Professor of International Security, School of Politics and International Studies, University of Leeds, UK
猪口孝氏(左)とEdward Newman (右), 2019年東京千駄ヶ谷にて。 (© Edward Newman. All Rights Reserved.)
世界、そして日本が、猪口教授の死によって偉大な学者を失いました。猪口教授は多作な作家であり、多くの優れた著書を残しています。同様に重要なのは、日本を世界に、そして世界を日本に紹介する能力でした。猪口教授は、尽きることのない知的好奇心と、それを伝える能力を持っていました。教授を訪ねるたびに、私は日本についてより深く理解できるようになりました。猪口教授を知る人々は皆、教授が私たちの生活を豊かにしてくれたことに感謝しています。
--- Joseph S. Nye, Distinguished Service Professor Emeritus, Harvard University, USA
この偉人の突然の終焉には、私は驚きました。 孝氏の命を奪った不幸な事故のニュースを聞いて、私は愕然とし、悲しみに暮れました。 彼は、さまざまな分野で卓越した業績を残した世界的アイコンでした。 10年前に孝氏と出会ったのは、まったくの偶然でした。それ以来、私たちは一緒に出版し、編集チームで協力してきました。これらの機会のおかげで、私は外交政策と安全保障研究の分野における視野を広げることができただけでなく、世界中の読者に知識を広めることもできました。彼は、強くて勤勉で、献身的な学者であり、体調が優れない時でもメールで連絡をくれました。
親愛なる友人よ、君がいないのはとても寂しい。
彼が涅槃の最高の至福を得られますように!
--- Dr. Peshan R. Gunaratne, Fulbright Visiting Scholar 2024-2025, Sri Lanka
社会科学として学者として、また人間として偉大な存在であった猪口孝氏に別れを告げるのは、非常に悲しいことです。猪口氏は、幅広い学術的内容だけでなく、専門職を導くべき倫理や原則についても、彼から多くを学んだ世界中の同僚たちから、いつまでも記憶されることでしょう。これほどまでに豊かな学問的・個人的な遺産を残そうと志す人はほとんどいません。そして、その遺産に触れた人々は、孝氏の遺産が将来の世代にも生き続けるようにしなければなりません。猪口家がこのような大きな損失を被られたことに対し、最大限の敬意と深い哀悼の意を表します。
--- Etel Solingen, Distinguished Professor, Thomas T. and Elizabeth C. Tierney Chair in Peace and Conflict, University of California Irvine, USA; Chief Editor, Cambridge University Press, Elements Series on Globalization and Supply Chains
政治学および国際関係論の分野における著名な学者である猪口孝教授は、日本および国際的な学術界に多大な影響を残した輝かしいキャリアを経て、このほど逝去されました。 猪口教授は、日本人の学者として初めて主要な国際ジャーナルに論文を発表した先駆者として知られ、革新的な視点を取り入れることで、世界中の学術的議論を豊かにしました。
私が初めて猪口教授にお会いしたのは1990年代半ばの東京でした。この出会いは、私の彼に対する認識を永遠に変えるものでした。学術的な業績を超えて、私は、自分の専門分野に深く献身する、魅力的で思いやりのある人物を発見したのです。直接的な指導を受けたわけではありませんが、猪口教授の先駆的な努力は、私が著名な国際ジャーナルに貢献する上で、ささやかな成功を収めることを支援してくださいました。2004年には、猪口教授からのご依頼を受け、東京大学出版会から出版された国際関係に関する新シリーズの共同執筆という名誉ある機会に恵まれました。猪口教授の指導の下、このシリーズは成功を収め、日本中の多数の大学で使用されるテキストとなりました。猪口教授の的確かつ洞察力に富んだアドバイスは、このシリーズの成功に大きく貢献しました。
猪口教授の功績は、私が文部科学省の評議委員会の若手メンバーとしてその貢献を目の当たりにしたアジア・バロメーター・プロジェクトへの多大な貢献を通じて、今もなお続いています。猪口教授は、学術誌International Relations of the Asia-Pacific、Japanese Journal of Political Science、そしてシュプリンガー社から出版されている書籍シリーズEvidence-Based Approaches to Peace and Conflictなど、著名な出版プラットフォームを創設しました。
亡くなる直前まで精力的に活動し、学術研究に専念し続けた猪口教授。 教授が創刊した学術誌や書籍シリーズの継続的な成功は、間違いなく教授の偉大な功績を称えることになるでしょう。 現在、私はSpringerの書籍シリーズの編集長を務めていますが、猪口教授から授けられた知恵に深く感謝するとともに、教授の仕事をさらに発展させていくことを誓います。 プロジェクトを成功裏に継続させることが、猪口孝教授の学術界への多大な貢献に対する最もふさわしい賛辞となるでしょう。
--- 鈴木基史, 京都大学大学院 法学研究科 法政理論専攻公共政策講座 教授
私はロサンゼルスで開かれたISAのレセプションで孝氏と一度だけ直接お会いしましたが、それ以来45年間にわたって手紙や電子メールで交流を続けてきました。私がカリフォルニアで働いていたとき、孝氏が私のオフィスを訪ねて来なかったのは、かえってよかったのかもしれません。それは長年、私のオフィスの本棚に置かれていましたが、ある人が、私がそれを逆さまに置いていたと指摘するまで、私は国際派の学者に見えるように気取っていました。いずれにしても、私は孝氏を、国際関係について幅広い長期的なビジョンを持つ人物として尊敬していました。安らかにお眠りください。
--- William R. Thompson, Distinguished Professor and Rogers Chair in Political Science Emeritus, Indiana University, USA
猪口孝教授は型破りなほどオープンマインドで、インスピレーションに満ちた方でした。猪口教授の励ましと、教授の著書シリーズEvidence-Based Approaches to Peace and Conflict Studiesがなければ、私が編集したLives in Peace Research: The Oslo Stories(Springer 2022)は、ウェブ上の単なるインタビュー集に留まっていたことでしょう。猪口孝教授には、貴重な、そしていつも思い出深い会話からインスピレーションをいただいたことに深く感謝しています。
--- Stein Tønnesson, Research Professor Emeritus, Peace Research Institute Oslo (PRIO), Norway; Senior Research Fellow, Toda Peace Institute, Japan
猪口教授は真の教師でした。アジア社会の文化的、政治的、人間的側面に焦点を当てた教授の著書を読めば、アジア世界の生活の質にアプローチし、理解するための教授の科学的業績における理論的、方法論的、経験的な貢献の価値を認識することができます。私は教授を知り、共に働くことができたことを光栄に思います。これについては、常に神に感謝しています。しかし、彼が私たちに残してくれた最も重要なものは、彼の人間性です。寛大で謙虚、献身的で、彼は素晴らしい人物でした。
--- Graciela Tonon, Professor, Universidad Nacional Lomas de Zamora; Director of UNICOM; Professor and Director of Research Center in Social Sciences (CICS- UP), Universidad de Palermo, Argentina
猪口孝先生は、日本の私の世代の国際関係論の研究者の間ではスター教授でした。単にスターというだけでなく、私たちを導くスーパースター教授として輝いていました。私は学部生、大学院生の頃、猪口先生の著作から多くを学びました。大学で教えるようになってから、猪口先生にお会いする機会がありました。猪口先生はいつも明るい方でしたが、同時にその鋭い分析感覚に感服していました。猪口先生の英文書籍シリーズで、『アメリカ太平洋軍の研究―インド・太平洋の安全保障』の英訳版書籍を出版できたことは、私にとって大変な名誉であり、猪口先生には心から感謝しております。猪口先生の飽くなき研究への意欲を少しでも受け継ぎながら、今後も研究を続けていきたいと思います。猪口孝先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
--- 土屋大洋 常任理事, 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授(兼 総合政策学部教授)
深い悲しみの中、この文章を書いています。邦子先生とお嬢様に心からお悔やみ申し上げます。
私が猪口先生と最初にお目にかかったのは、今から50年近く前のことになります。猪口先生は研ぎ澄まされた知性と理性の持ち主であると同時に、実に温かい方でした。科学に対する飽くなき好奇心と情熱に突き動かされていました。研究には常に真剣に取り組まれていらっしゃいましたが、ユーモアのセンスも持ち合わせていらっしゃいました。学者としての卓越性は、その分野に関する深い知識によるものだけでなく、人々に対する真の関心によるものでもありました。 先生は、国際関係学の仲間に対しても、また人類全体に対しても、惜しみなく時間と知恵を分け与えてくださいました。 英語で執筆し出版すること、そして広く世界と知識を共有することを私たちに奨励し、実践していらっしゃいました。
10年ほど前、私は、猪口先生とドイツを旅行する機会に恵まれ、先生の言語の天才ぶりとユーモアのセンスを目の当たりにしました。会議で朝から一日議論した後、ライン川のほとりで食事をした時のことです。猪口先生は即興のパフォーマンスで私たちを楽しませてくれました。それは、世界各国の指導者が演説する様子を真似たもので、それぞれの言語で、指導者たちの特徴を捉えたものでした。各国の言葉を操る先生に一同驚いたと同時に、あまりにおかしくて爆笑したものでした。
もう一つ忘れられないのは、1991年に猪口先生にかけた一本の電話です。それは、私の人生に大きな影響を与えることになりました。当時私は米国ミネソタ州にいて、1歳になる娘がおり、胎内には2人目の子どもがいました。博士課程への進学について猪口先生に相談したのですが、猪口先生は、先生の母校でもあるMITで博士課程に進むことを強く勧めてくださいました。今の私があるのも、この時の先生のご助言があったからこそです。先生が長年にわたって私に与えてくださったお励ましとご指導に、心から感謝しています。
猪口孝先生、本当にありがとうございました。私たち、皆、先生に深く感謝するとともに、先生がいらっしゃらないことをとても寂しく思っています。
---植木 (川勝) 千可子, 早稲田大学国際学術院大学院アジア太平洋研究科教授
僕らの世代にとって、孝先生の現代政治学叢書のインパクトは、邦子先生の『戦争と平和』を含め、巨大だった。学会などでお二人に会うと、その空間だけほっこりと明るくなったように感じた。
---宇野重規, 東京大学社会科学研究所教授 (本コメントは、宇野教授のご許可を得て、2024年11月28日のXにおける投稿より抜粋させていただきました。)
猪口孝氏、東京大学を退官した後、故郷に建立した新潟県立大学にて、© Kuniko Inoguchi, All Rights Reserved.
本記事の執筆・編集:河上 自由乃(シュプリンガーネイチャー, シニア・エディター(政治、国際関係、法律、経済))
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